吉田町3008

再び吉田町へ復興支援に行ってきました。

海は太陽の光で輝きとてもきれいなのですが、

道路は今も泥水につかった痕跡が残っています。

吉田町3008 (3)

さて今回は破棄するごみを軽トラでゴミ処理場まで運ぶという作業に携わりました。

宇和島市は現在処分場が決められ、そこに分別して持ち込まなければなりません。

吉田町から途中有料道路を使い20分ぐらいかかります…。(グネグネ道を通るという方法もあるのですが…。)

後々のことを考えると、確かに分別して出す方が便利なのですが、処理場まで時間がかかるのが困りものです…。

軽トラやトラックがないことには運べません…。

吉田町3008 (2)

今回支援したお宅は、以前は老夫婦が住んでいたのですが、娘さんが(高齢となった)両親を関西に呼び寄せ、そのため現在は誰も住んでいない家でした。

娘さんが戻って来て、家の(中の)状況を見て唖然としたそうです。

それ故災害発生から1か月が過ぎてもまだ何も手つかず状態であったという家です。

こんな家南予には多いのでしょう。

吉田町3008 (4)

さて、これまでに大洲へ5回、吉田町へ2回の計7回復興支援に行ったのですが、今回で一旦終了としたいと思います。

(状況次第でまた支援に行きます!)

私にとって今回は(自分の中にある)「福祉」の見直しをするということもあり、ボランティアという感覚はほぼありませんでした。

(それ故にボランティアという言葉を使わず復興支援と言っております。)

で、まだまだ見直しの途中なのですが、現在のところの考えのひとつです。

私が福祉を始めるきっかけは養護老人ホームでボランティアをした際に、そこに入居している高齢者の方々から何度も「ありがとう」という言葉を頂き、それを嬉しく感じたことです。

何か新鮮に感じる「ありがとう」と言われる仕事もいいものだと思い(高齢者)福祉の仕事についたわけです。

確かに今回の復興支援もみなさんから「ありがとう。」をはじめ、「助かりました。」「(ご恩は)忘れません。」などと言われ、それはうれしくもありました。

けれども今回は少々複雑でもありまし、いろいろと考えさせられもしました。

そして自分の中で、今回特別なことをしたわけでもなく、それよりも「(困った時は)お互いさま」といういう感覚が一番しっくりくるように思います。

テレビやSNSで災害の状況を知り、「こりゃ大変だ~」「かつて南予の人にはお世話になったし…」「独居老人なんか片付け大変だろうな~」と思い、現地で復興の手伝いがしたいという気持がモクモクと湧き上がり…、気がつけば軽トラで現地に向かっていたという…。


私は、いつのころからか福祉とは、「人々に『(神様からの)幸せ』を留めることである」と思っているのですが、今回もっと気楽に「困った時はお互いさま」という感覚を取り入れたいと思います。

「福祉の仕事」というと、偉いね~なんて言われる方もいますが、ましてや「社会福祉士」という国家資格をとればそれなりのプライドを持つようにもなりますが、そうじゃなく日常の中にいくらでもあるものであり、たまたまそれを「職」としています。

誇りを持ちつつ、かと言って構えることもなく、日常の一部として取り組んでいきたいと思うのです。

それが新たな私の「福祉」に対する考えです。